道真公は、230年にわずか65人しか合格者が出なかったといわれる超難関試験の官僚試験に合格します(!) そして最終的には学者としての最高峰の文章博士(もんじょうはかせ)にまでのぼりつめます(文章博士は道真公の祖父・父も経験した地位で、菅原家の悲願でもありました)。
今でたとえると…文部科学省の事務次官と東大の学長を兼任…みたいな感じかな?
文部科学省事務次官・兼 東京大学学長がいきなり香川県知事・・・という感じでしょうか。 極端に仕事内容が変わってしまいました。
当時の貴族は都にいながら現地を誰かに任せて遠隔で知事をやることも多かったようですが、道真公には現地赴任の辞令がおりてしまいました。
座学中心だった都の学者生活から一転、現場で指揮をとることになった4年間の体験はその後の道真公の人生に、そして日本の政治に強烈な影響を与えます。
次回は讃岐赴任が決まったときの道真公の、ちょっと人間くさいエピソードです!
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