■遣唐使の廃止は改革の一歩!
道真公は、遣隋使から数えて300年ほど続いた遣唐使を廃止しましたが、ハッキリした根拠がありました。
ひとつは、すでに唐の国力が衰え切っていたこと。
道真公は遣唐使廃止の1年前、唐の留学僧からの手紙で唐国内の情報を得ていたので、実は1年ごしの計画だったようです。
しかし最大の理由は税の仕組み。
当時は唐のモノマネでいろいろ学んでいました。ところがマネしていた唐の税制のおかげで日本の財政が破綻しかけていたのです。
日本は日本に合ったやり方でやればうまくいく!
讃岐の現場体験をベースに、讃岐でうまくいったことを日本全体に広げればきっとうまく。 その後の迷いのない思い切った行政改革を見る限り、そんな実感と確信があったようです。
遣唐使廃止は大国依存にバイバイし、日本が日本として独り立ちする大きなきっかけとなります。 実際このあと道真公オリジナルの税制改革によって国は復活し繁栄につながっていきます。
そして「白紙(894年)に戻そう」のち900年代以降、日本独自の「国風文化」が花開くんですね~
道真公、すっご~
■実は道真公のおじいちゃんは遣唐使!
実は道真公のおじいちゃん・清公(きよきみ)も若かりし頃、遣唐使として唐に渡っています(道真公が生まれる前の話)。
この時同船していたのが…な、なんとあの最澄・空海という・・・スーパーデラックス超豪華メンバーです!
今でこそインターネットにつなげば最新・最先端の情報を得ることができます。
でも当時、最先端にアクセスする手段は遣唐使。つまり、中国への船がインターネット!だったわけです。
選ばれたのは選りすぐりのエリート。
すでにスーパー僧侶だった最澄に対し、空海はまだこの時 駆け出しでした
当時の遣唐使はめちゃくちゃ危険。
船がどれくらいのデカさだったのかは謎ですが、一隻に100人以上乗っていたらしいですからたぶんギュウギュウ。
一行は4隻でしたが、な、なんと2隻が遭難、確率50%。もし清公・最澄・空海の船が遭難していたら・・・歴史は大きく変わっていました。
あぶな~
清公じいちゃんはイケイケ。
唐から帰国するや、日本の宮廷の儀式・男女の服装・宮殿など、いろんなものを最新トレンド(=唐風)に変えてしまいました。
しかし考えてみると道真公は、偉大なおじいちゃんが進めた「日本の唐化」をやめて日本独自路線を始めた人。なんとも不思議なものですね。
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