■右大臣の就任命令、3回も断る!
実際の道真公は右大臣の就任命令を、なんと3度も断っています。
この時代の慣習として昇進命令は2度まで辞退し3度目で受けていました(奥ゆかしい~京都っぽい~)。 しかし道真公は掟破りの「3度辞退」しています。
おそらく3度目は当たり前に受けるものだと思っていたお使いの人もびっくり仰天したことでしょう。 実は右大臣、ガチでいやだったという…。
しかし、この就任辞退は結局、天皇によって認められませんでした。かわいそ~
■なぜ右大臣になるのがそんなにイヤだったのか?
なぜ道真公は右大臣になることを頑なに拒もうとしたのか?
道真公は自らの「出自」を理由にしています。
つまり
「身分が低いから大臣ムリ」
「自分は宇多天皇にたまたま抜擢されているだけ。右大臣は行き過ぎ」
と言っています。
道真公は中下級貴族の家柄。当時は大臣に中下級貴族が就任するのは異例中の異例で、すべては改革を進めたい宇多天皇の抜擢によるものでした。
身分制度の厳しかった当時、主流の藤原一族を押しのけての異例のトップ就任。周囲の嫉妬による嫌がらせもすさまじかったようです。特に野心家でもない学者の道真公にとっては肩身の狭い思いだったようで、そういう発言が多数みられます。
これ以上、官位が上がるのがつらかったのでしょう。
道真公は右大臣以外にも多くの役職を兼任・歴任していますが、そのとき兼任していた「右大将」も同様に3度「辞めさせてください~!」と訴えています・・・がしかし、すべて却下されています。
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