道真公の改革は成功の気配がムンムン漂っていました。
道真公は学者・政治家以外に、おじいちゃんの代からやっている私塾も経営していて、ここから100人をこえる卒業生が官僚として宮廷内で活躍していました。
道真公は宮廷内で徒党を組んだり派閥を作ったりすることは一切しなかった人なのですが、それでも道真塾の門下生が大量に官僚としているわけで、他の貴族や官僚からしてみると大きな脅威だったと想像します。
道真公は
「合い間に政治をやってもいいけど、せめて半分は学者やってたいな」
「でも私がやめると時平さんひとりになるからがんばる!」
…みたいな発言をしています。
これ、総理大臣クラスの人が
「あき時間に政治やってもいいけどホントは学者していたいよ~」
と言っているわけで、冷静に考えるとトンデモ発言です。
まあ、それほど道真公は政治家より学者でいることに執着していたんですね。
■不吉な手紙
バックの宇多上皇を失い丸腰になった道真公のもとに、待ってましたとばかりに一通の手紙が。
差出人は学者官僚の三善清行(みよしきよゆき)。
「特に親しくもないのにこんなこと言うのもなんですが」で始まるこの手紙の内容が…なんとも気持ち悪い。
「自分は占星術をやっている」
「それによると道真さんの運勢は超悪い」
「破滅するよ」
などなど・・・結局いいたいことは
「あなた身分が低いんだからすぐ大臣やめなさい」。
道真公にすれば「いやいや、辞めたいけど辞めさせてもらえないだけ!」と言いたいところでしょう。
この手紙の数か月後に実質の流罪となる太宰府への左遷命令が来ます。
この三善氏、道真公への手紙のわずか10日後に、天皇にも書状を送っているのですが、内容はカンタンにいうと
「占星術でみたら、今年は謀反(むほん)が起きるから、あらかじめ賊を倒しておきましょう!」
というもの。
この2つの書面の内容は「賊=道真公」を暗にほのめかしており、天皇側への事前の雰囲気づくりをしていることがわかります。
ううう、陰湿・・・
この手紙をいいように解釈する説もあります。
なんらかの事情で三善氏が道真公追放の計画を事前に知り「追放される前に辞職すれば助かるよ」と助け舟を出してくれていたのだ、とするものです。
しかし、右大臣たるものが一官僚のアドバイスを受けたからといって軽々と辞職願を出しても通らないことはさすがに理解していただろうし、
そもそも親しくもないのに左遷という機密事項をリークする危険を冒してまで道真公に助け舟を出すのはなんとも不自然です。
だいたい・・・10日後に送った天皇への手紙には「道真公=賊」をほのめかす言葉が。
道真左遷後の三善氏は、追い打ちをかけるように得意の占星術で「賊を追放したので仕切り直し」を理由に、改元(年号を変えること)まで推進しています。
こっわ~。
実はこの三善清行、官僚試験を受けたときの出題&試験官だった道真公に不合格の判定をくらい、合格まで2年も足踏みしています。
そのほか宮廷内のトラブル(阿衡事件)の後、地方への左遷人事もくらっています(宇多天皇引退で復活します)。
そのほか、史実かどうかはわかりませんが、道真公が三善氏を「愚」と評したという逸話も残っていたりするほどまわりからは不仲だと考えられていたようです。
事実だけとってみても道真公に恨みをもっていた可能性は十分ある人物でした。
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