神社には天神様のパパとグランパ(おじいちゃん)もいた! ふたりはとっても仲よし・・・ん?
私は中規模以上の神社に訪れると、必ず本殿の裏をチェックします。 ときに、かなり強い神様が祀られていることがあるからです。
北野天満宮の本殿の真裏は「御后三柱(ごこうのみはしら)」。
◎菅原氏のルーツとされる神様「天穂日命」
◎菅原清公(きよきみ)=おじいちゃん
◎菅原是善(これよし)=パパ
三柱が祀られています。
おじいちゃん清公、パパ・是善、いずれも学者最高峰の文章(もんじょう)博士(いまでいうなら東大の学長みたいなもの?)までのぼりつめた秀才。
特に清公はなんとあの空海・最澄とともに遣唐使として中国に渡り、帰国後は日本の唐化を推進した人。 (しかしのちに孫の道真公が遣唐使を廃止することになるとはなんとも皮肉なものです。)
おじいちゃん清公はマンガのような激しい性格とは違い、伝えられるところによると情け深く穏やかな性格で殺生・暴力を極端に嫌い、尾張介(愛知県知事みたいなもん)で赴任したときも罪人に体の痛みを伴う刑罰を用いなかったそうです。
いつも名薬(今でいうサプリ)をとり年老いても元気バリバリ、容姿も衰えなかったそうです。
学業優秀で学者最高峰の文章(もんじょう)博士にのぼりつめただけでなく、名誉ある遣唐使メンバーにも選ばれるほどでした。
この時の遣唐使の船は4艘のうち2艘が遭難、奇跡的に清公、空海、最澄らが乗った2艘は難を逃れ唐にたどり着き帰国にも成功しています。
暴風雨で他の船が遭難していく中、船上で信仰する吉祥天に祈って命拾いしたことから、帰国後に現在の吉祥院天満宮(京都市南区吉祥院)を建てたと伝えられています。
当時、大人気で部屋に収まりきらず廊下でまで授業をしたという私塾「菅家廊下」を始めたのもおじいちゃん。そこから優秀な人材がどんどん官僚となり日本を支えます。師弟のつながりが強かったことから学閥のようなものも形成されたみたいです。今の塾業界や学閥社会の走りかもしれませんね。
パパ・是善も穏やかな性格で、ふだん怒ることがなかったそうです。
学習塾をやっていると子どもとその保護者の両方を見る機会が多いのですが、成績優秀な生徒のご両親はだいたい穏やかで「呼吸が深い」特徴があるように思います(もちろん例外はあります)。
パパ・是善が学業に超優秀だったことや、その息子である道真公も超優秀であったことは、おそらくおじいちゃん清公からきているのだろうな、と思いをはせるわけです。
ちなみに、マンガには登場しませんが、おじいちゃん清公のパパ、つまり道真公のひいおじいちゃんである「菅原古人(ふるひと)」が、これまたすごい人でした。
いつの機会にか触れてみたいと思います。
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