あまジン・マンガ 第二部 最終回
天神ママと遊ぶ謎の子供「阿呼(あこ)ちゃん」その正体は・・・!
道真公の幼名は阿呼(あこ)と吉祥丸(きっしょうまる)が伝えられています。
道真ママに関する記情報は非常に少ないのですが、いくつか。
道真公はどうも三男だったようなのですが、「兄弟はいない」と言っていることから、幼くしてお兄さんふたりは亡くなっているようです。医療の発達していない当時は子どもが幼くして亡くなることは日常茶飯事でした。
道真公も幼少のとき生死をさまよう病気をしたそうですが、道真ママが観音様に必死にお祈りして九死に一生を得たことがあったそうです。 そんなこともあって道真公は非常に大切に育てられたと想像できます。
祖父・父ともに、学者最高峰の文章(もんじょう)博士までのぼりつめるというエリート学者の血筋であったことから、ママは道真公にも大きな期待を寄せていたようです。その期待に100%以上に応えたのだから、道真公、やっぱすごいですね。
北野天満宮に行くと、一の鳥居をくぐって少し行くと、最初に出会うのが道真ママの祠「伴氏社(ともうじしゃ)」です。
道真ママは、名門「大伴氏」の家系だったため、祠は「伴氏社」となっています。ただ、ママの時代は大伴氏は藤原氏との権力争いで駆逐されていたはずなので、大きな力はすでになくなっていたと思われます。
一説に、現在の北野天満宮がある北野エリアは大伴氏の領地だったそうです。
その説を聞いて、個人的には直感で「あ、それで当時、道真公が北野に祀られたのかな?」と思いました。
天神伝説では、道真公が巫女さん(多治比文子、マンガのあーやさんです)の枕元に現れて「北野に祀ってくれ」とお願いしたとありますが、あくまで伝説。カミナリ様の祠はすでにあったにせよ「なんで北野?」というのがありました。
もしも道真ママの出身地が大伴領である北野であったとすれば、道真公の生誕地も北野である可能性が高い。
「道真公生誕の地」と主張する神社は私が知っているだけで京都で3つ、奈良に1つありますが、その根拠はだいたい菅原系の邸宅がそこにあったから、というものです。が、実際は当時、出産は母方の故郷ですることが多かったようですから、もしも北野が大伴領であったなら、北野が道真公の生誕地であった可能性も高いわけです。
当時の人たちは当然道真公の生誕地くらいは知っていたでしょうから、怨霊といわれた道真公を鎮めるために母君の故郷であり道真公の生誕地でもある北野に怨霊を祀ったのではないか・・・と勝手な想像をするわけです。
祠の写真は何枚もあったはずなのですが・・・不思議に一枚も見つからず。(どこいったんだろ。)
ここは毎回、お参りするとネコが登場したり、頭上でカラスがとまってカアカア鳴いたりと、私にとって縁起のいい祠です。(神社で動物に出会えば吉兆と勝手に決めているので)。
さらにその動物が何かを食べていたら大吉兆(と、勝手に決めている)。
誰かがあげたエサをモグモグ食べ始めたネコちゃん。
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