第124回 天神ママ の巻【第二部・最終回】
あまジン・マンガ 第二部 最終回
天神ママと遊ぶ謎の子供「阿呼(あこ)ちゃん」その正体は・・・!
道真公の幼名は阿呼(あこ)と吉祥丸(きっしょうまる)が伝えられています。
道真ママに関する記情報は非常に少ないのですが、いくつか。
道真公はどうも三男だったようなのですが、「兄弟はいない」と言っていることから、幼くしてお兄さんふたりは亡くなっているようです。医療の発達していない当時は子どもが幼くして亡くなることは日常茶飯事でした。
道真公も幼少のとき生死をさまよう病気をしたそうですが、道真ママが観音様に必死にお祈りして九死に一生を得たことがあったそうです。 そんなこともあって道真公は非常に大切に育てられたと想像できます。
祖父・父ともに、学者最高峰の文章(もんじょう)博士までのぼりつめるというエリート学者の血筋であったことから、ママは道真公にも大きな期待を寄せていたようです。その期待に100%以上に応えたのだから、道真公、やっぱすごいですね。
北野天満宮に行くと、一の鳥居をくぐって少し行くと、最初に出会うのが道真ママの祠「伴氏社(ともうじしゃ)」です。
道真ママは、名門「大伴氏」の家系だったため、祠は「伴氏社」となっています。ただ、ママの時代は大伴氏は藤原氏との権力争いで駆逐されていたはずなので、大きな力はすでになくなっていたと思われます。
一説に、現在の北野天満宮がある北野エリアは大伴氏の領地だったそうです。
その説を聞いて、個人的には直感で「あ、それで当時、道真公が北野に祀られたのかな?」と思いました。
天神伝説では、道真公が巫女さん(多治比文子、マンガのあーやさんです)の枕元に現れて「北野に祀ってくれ」とお願いしたとありますが、あくまで伝説。カミナリ様の祠はすでにあったにせよ「なんで北野?」というのがありました。
もしも道真ママの出身地が大伴領である北野であったとすれば、道真公の生誕地も北野である可能性が高い。
「道真公生誕の地」と主張する神社は私が知っているだけで京都で3つ、奈良に1つありますが、その根拠はだいたい菅原系の邸宅がそこにあったから、というものです。が、実際は当時、出産は母方の故郷ですることが多かったようですから、もしも北野が大伴領であったなら、北野が道真公の生誕地であった可能性も高いわけです。
当時の人たちは当然道真公の生誕地くらいは知っていたでしょうから、怨霊といわれた道真公を鎮めるために母君の故郷であり道真公の生誕地でもある北野に怨霊を祀ったのではないか・・・と勝手な想像をするわけです。
祠の写真は何枚もあったはずなのですが・・・不思議に一枚も見つからず。(どこいったんだろ。)
ここは毎回、お参りするとネコが登場したり、頭上でカラスがとまってカアカア鳴いたりと、私にとって縁起のいい祠です。(神社で動物に出会えば吉兆と勝手に決めているので)。
さらにその動物が何かを食べていたら大吉兆(と、勝手に決めている)。
誰かがあげたエサをモグモグ食べ始めたネコちゃん。
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第123回 パパ&グランパ の巻
神社には天神様のパパとグランパ(おじいちゃん)もいた! ふたりはとっても仲よし・・・ん?
私は中規模以上の神社に訪れると、必ず本殿の裏をチェックします。 ときに、かなり強い神様が祀られていることがあるからです。
北野天満宮の本殿の真裏は「御后三柱(ごこうのみはしら)」。
◎菅原氏のルーツとされる神様「天穂日命」
◎菅原清公(きよきみ)=おじいちゃん
◎菅原是善(これよし)=パパ
三柱が祀られています。
おじいちゃん清公、パパ・是善、いずれも学者最高峰の文章(もんじょう)博士(いまでいうなら東大の学長みたいなもの?)までのぼりつめた秀才。
特に清公はなんとあの空海・最澄とともに遣唐使として中国に渡り、帰国後は日本の唐化を推進した人。 (しかしのちに孫の道真公が遣唐使を廃止することになるとはなんとも皮肉なものです。)
おじいちゃん清公はマンガのような激しい性格とは違い、伝えられるところによると情け深く穏やかな性格で殺生・暴力を極端に嫌い、尾張介(愛知県知事みたいなもん)で赴任したときも罪人に体の痛みを伴う刑罰を用いなかったそうです。
いつも名薬(今でいうサプリ)をとり年老いても元気バリバリ、容姿も衰えなかったそうです。
学業優秀で学者最高峰の文章(もんじょう)博士にのぼりつめただけでなく、名誉ある遣唐使メンバーにも選ばれるほどでした。
この時の遣唐使の船は4艘のうち2艘が遭難、奇跡的に清公、空海、最澄らが乗った2艘は難を逃れ唐にたどり着き帰国にも成功しています。
暴風雨で他の船が遭難していく中、船上で信仰する吉祥天に祈って命拾いしたことから、帰国後に現在の吉祥院天満宮(京都市南区吉祥院)を建てたと伝えられています。
当時、大人気で部屋に収まりきらず廊下でまで授業をしたという私塾「菅家廊下」を始めたのもおじいちゃん。そこから優秀な人材がどんどん官僚となり日本を支えます。師弟のつながりが強かったことから学閥のようなものも形成されたみたいです。今の塾業界や学閥社会の走りかもしれませんね。
パパ・是善も穏やかな性格で、ふだん怒ることがなかったそうです。
学習塾をやっていると子どもとその保護者の両方を見る機会が多いのですが、成績優秀な生徒のご両親はだいたい穏やかで「呼吸が深い」特徴があるように思います(もちろん例外はあります)。
パパ・是善が学業に超優秀だったことや、その息子である道真公も超優秀であったことは、おそらくおじいちゃん清公からきているのだろうな、と思いをはせるわけです。
ちなみに、マンガには登場しませんが、おじいちゃん清公のパパ、つまり道真公のひいおじいちゃんである「菅原古人(ふるひと)」が、これまたすごい人でした。
いつの機会にか触れてみたいと思います。
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第119回 カラス天狗はカラスじゃない の巻(その2)
(前回の続き)
北野天満宮の七不思議、天狗山のカラス天狗。 その天狗山っていうのはどこにあるのか?見に行ってきました。
境内北西に「牛舎」と呼ばれる、なで牛と絵馬をかける場所があります。
お稲荷さんのような鳥居をくぐりぬけると
かなり年季の入った「なで牛」が!
なでられすぎて牛のお顔が・・・崩れています。
願い事を書いた絵馬はこのあたりに掛けます。
あまり知られていないようですが、なで牛と「陰陽ニコイチ」の亀石です。
さらに奥に行くと、こんなところに鳥居が。ここが境内の北西行き止まり。
境内地図によるとこの鳥居の向こう側が「天狗山」ということですが・・・
むむむ・・・小山って、どこのことだろう?
北門から外に出て、神社の外から写真の向こう側を見てみたのですが、小山っぽい盛り上がったエリアはありませんでした。その昔そういう小山があったということなのでしょうか。
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第111回 天神ドリーム予備校 の巻
せっかく神様になれたのにいまだに怨霊あつかいでウンザリの道真さん。ある参拝者の願掛けに・・・ひらめいた!
道真公は実は、お爺ちゃん・お父さんから受け継いだ超名門塾の3代目塾長。 宮廷内には官僚になった門下生が100人以上。 現代にたとえるなら東大合格NO.1駿台予備校みたいなもの? ちなみにマンガ5コマ目「第一志望はゆずれない」は某・駿台予備校のキャッチフレーズ。
塾の名前は「菅家廊下(かんけろうか)」
廊下? 塾なのに変な名前! 正式な塾名は「山陰亭(さんいんてい)」。 あまりの人気で生徒が部屋に収まらず、廊下にまで畳をひいて授業をしたので、いつしか「菅家廊下」と呼ばれるように。 現在、京都市内の中心地にある跡地は「菅大臣神社」となっています。
道真公はおそらく平将門と並んで日本で一番有名な怨霊。 しかし日本史史上屈指の秀才だったということもあって見事に「学問の神様」に昇華されました。
しかし冷静に考えてみたら、人間、しかも怨霊が神様に転換するという考え方は非常に興味深い。
日本の神道(明治以前の)では、怨みをもって死んだ人は怨霊になるとされ、その怒りを鎮めるために神様として祀る、という習慣があります。
これは「怨霊=穢れ(けがれ)」と考えるからです。
穢れを祓い清めることで悪霊を善神、きれいなものにする、ということです。・・・す、すごい考え方だ!
たとえば京都の町を歩くと、冤罪などで殺されたフツーの庶民が怨霊として扱われ、祀られている神社があります。しかし遠い昔の事件なので怨霊とされた事実は消えていて、とってつけたようなご利益の神様になっていたりします。由緒をよく調べるとそういう事実が出てくる、そんな神社もよくあるのです。
・・・さて、これでいったん長かった道真さんのお話はおしまいです。 道真公については興味深いエピソードはまだまだあってこの3倍以上マンガ描けそうですが、これくらいでお開きに・・・。
次回は、、、
主人公まりもちゃんが天神様に誘われていっしょに神社に行くことになりました。
そこで祀られている個性的な神様たちと会って・・・
次回もお楽しみに~!
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第110回 神様になろう! の巻
道真さん! 神様になったんだから、もうその頭の輪っか、いらないよね! その瞬間、あーやさんが宙を舞う・・・!
北野天満宮にはあーやさん、もとい多治比文子さんの祠もあります。文子さんも神様として祀られているんですね。
本殿から西側(左)へ出たところ、神明社の隣にあります。
「文子社」の表示がないので一見、文子さんの祠かどうかはわかりにくいです。
京都駅から徒歩15分くらいのところに「文子天満宮」という小さな神社があります。
道真公のお告げを受けて文子さんが自宅の庭に祠を建てた、北野天満宮の前身といわれています(ただし当時の文子さんの自宅の場所ではありません)。
文子さんのかわいらしい像もあります。
ちょっと気づきにくいけど、本殿の裏が何やら・・・ポイントみたい。
ちなみに、文子さんを「道真公の乳母」とする説もあるのですが、これはおそらく間違い。
乳母なら少なくとも道真公より15歳は年上と考えると、道真公が亡くなった59歳、その時74歳になる。 文子さんにお告げが降りたとされるのは道真公の死から39年後。文子さん113歳ってことに! そこから自宅の庭に5年祀ってるわけだから・・・何歳??
北野天満宮 境内の一番奥にひっそりと「文子天満宮」という一角があります。
こちらは文子さん「を」祀った祠ではなく、文子さん「が」道真公を祀った祠。
北野天満宮の境内の中で、霊感ゼロの私にですらこの空間だけは別種の「気」が漂っているのがわかります。 興味深いエリアなのでまた別の機会にも触れたいと思います。
さて次回のマンガ・・・
神社に祀られた道真さん。 でも神社をつくった目的は道真さんの怒りを鎮めるため。
じゃあ道真さんはこわいこわい怨霊から、どうやって「学問の神様」に変身できたんだろう?次回のマンガでその謎が解き明かされる!!
明日もお楽しみに~!
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