べんきょーの神様★あまジン

おもしろ勉強マンガ

第80回 天神様、泣いちゃった!?の巻

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■道真公の讃岐赴任は左遷?

 

道真公の讃岐赴任は、「アンチ道真派が仕組んだ左遷」という説もありますが事実は不明です(基経さんはこの人事に関与していなかったようです)。実際、地方の国司で優秀な成績を上げた人はのちに官僚として出世街道を進むことが多く、人事としてはありえないものではありませんでした。 

 

ただ、文章大臣(もんじょうだいじん)という、学者としてトップの位置でやってきた人物がいきなり解任されて国司・・・ですから、道真公にしてみれば青天の霹靂たったに違いありません。

 

藤原時平』といえば、歴史的には道真公を太宰府に追放した宿敵といわれていますが、その父・基経さんと道真公はかなり仲良しだったようです。

 

トップ学者・官僚にのぼりつめた道真公に対し、アンチ道真派の誹謗中傷による嫌がらせはすさまじいものがあったようで、道真公はこのとき、基経さんに助けを求めて相談しています(その効果もあったのか、翌年は道真公への誹謗中傷がパッタリやんだそうです)。

 

基経さんもまた道真公を信頼し、公文書などの代筆をよく依頼していました。

 

天皇や基経さん参加の公式な餞別会とはまた別に、基経さんはプライベートでも自宅に道真公を呼んで餞別のホームパーティーを開いています。それくらい関係は良好だったんですね。

 

意外なことに、道真公の讃岐赴任の名簿を見てみると、なんと未来の宿敵・時平もそのメンバーにいました。 ただし、道真公といっしょに讃岐に行ったわけではなく、現地に赴任しない遠隔勤務でした。 これも基経さんの計らいだったのかもしれません。

 

もちろんこの頃、親子ほど歳の離れた道真公と藤原時平、ふたりの関係は悪いわけではなく、むしろ良好だった様子がうかがえます。 

 

 

■讃岐赴任の餞別会で

 

道真公は基経さんから歌を詠んでくれと言われた時、感極まって泣きじゃくり嗚咽で歌が詠めなかったというエピソードが残っています。プライドの高い道真公にとって、周囲から左遷扱いされていたことが一番悔しかったようです。帰宅後その夜は眠れなかったと。。。

 

生粋の都人・道真公にとって4年間の地方赴任はイヤでイヤで仕方なく「行くのヤだ~」という歌も残っています。現地でも4年間、一貫して「もーヤダ~帰りたーい」という歌が。。しかしそうはいっても仕事はキッチリ。讃岐国守としての評判は良好で人々からの支持は厚かったそうです。

 

■現地を歩くと


道真公が実際に現地を歩きます。

 

塩・魚・薬売り…と色々な職業の人、物乞い・逃亡者・老人・孤児、病人…など、極貧にあえぐ人々の暮らしぶりを詳細に視察していたことが当時の歌に。

さらには「上に立つものが憐みの気持ちを持たないでどうする!」という歌も。

 

もともと讃岐は退廃していました。
実は前任の国司がすごい人で、トップ自ら現場をまわり貧しい人たちを助ける施策を実行しかなり回復しつつありました。

 

道真公は引き継ぎだったわけですが「前の国司さんほどは無理…でも継承してガンバル!」みたいな歌が残っていてます。

 


人々が住むみすぼらしい家を漢詩

「蝸舎一間貧」

=「蝸(カタツムリ)の舎一間(いえいっけん)の貧しさ」

=カタツムリのような小さな家

と表現しています。

 

カツカツのせまい家をカタツムリにたとえるとはいかにも詩人ですが、私は即座にドラえもんの「でんでんハウス」を連想してしまいました。

 

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歴史的には道真公の讃岐赴任の4年間はそれほど重要視されていませんが、もしこの4年の現地体験がなかったら、あれほど的を得た政治改革は断行できなかったと思われます。 ただ、その改革が原因で太宰府左遷となり、そしてそこから神として崇められることになるのだから人生わからないものですね。

 

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