今日は勉強苦手な子どもについて、少し機微に触れるお話です。
小学・中学・高校と成績が平均付近もしくはそれ以上でずっと来た人にとっては想像もつかない世界かもしれません。
しかし、勉強が苦手な子にとって、学校授業はどんな風に見えているものかというと…
ずーーーーっと先生が黒板の前で「なんだかわからないこと」をしゃべっているのです。それも毎日・毎時間、です。
それだけならまだいいのですが、先生が言っていることをまわりのほとんどの友だちが理解して、次々と手をあげて答えていくのです。
来る日も来る日も、これがえんえんと続きます。
自分だけが取り残されたまま。
なんのことだかもわからずただ椅子に座っているだけの時間はどれだけ長く感じることでしょう。でも逃げることができません。ただ、チャイムが鳴ったらそこに座るのです。
テストでは、なんだか聞いたことがあるようなないような、そんな語句を見つけては選択肢の記号を書きます。すると、いくつかは「当たって」点数がつきます。
でも理解してとった点数ではないので、書かれた数字は20点だろうが30点だろうが、その子にとってはどちらでもいいものです。
そしてそれが何年もたって常態化してしまうと、しまいにはブレーカーが落ちるように劣等感のスイッチが切れます。感覚麻痺・無感情になっていきます。
勉強ができない・授業についていけない・テストの点数が低い、そんなことになんの感情も起こらなくなるのです。
でもこれは、劣等感・孤独感に押しつぶされないようにするための自己防衛機能です。しっかり自分を守るために、無意識に感情を操作しているのです。
しかしそれは裏返せば、本当の本当は、勉強がわかりたい、せめてみんなと同じくらい…と心の奥で思っているということです。
そんなとき。
もしも、今日やる授業内容をみんなより先にすでに知っていたら?
みんなより先にできるようになっていたら?(たとえそれが不十分でも!)
ドラえもんの「もしもボックス」を使って、クラス全員を1学年も2学年も下の学力にしてしまったら??
励ます・ほめる・叱る…
勉強苦手な子に対して大人は、なんとかしてその子をがんばらせようと、あの手この手で外側から働きかけます。
「やる気」という謎の感情を起こさせようと、躍起になります。
でも、ちょっと立ち止まって子どもの視界に立ってみると、別のアプローチ方法が見えてきそうです。
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