あまジン★ガクモンの神様

おもしろ勉強マンガ

第94回 太宰府、新鮮! の巻

期待に胸ふくらませて(?)到着した大宰府は、道真さんの思っていたものとは全然違っていた! しかし、そこで道真さんの「超ポジティブ思考」が発動・・・!

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道真公に与えられた屋敷は床に穴、雨漏りのボロ屋でした。

 

大宰権帥(だざいのごんのそち)」という役職を与えられていましたが役所では仕事もろくに与えられず、食料にも困るというありさまでした。ひど・・・


道真公が見た当時の大宰府は…

盗賊が群がり
簡単に人を殺す者
ニセモノの綿を売る者
高値で米を売りつけようとする者
そんな人たちであふれていたといいます。

 

当時は警察が機能しておらず「平安」時代という言葉とは裏腹に、治安は最悪の時代でした。平安時代の優雅なイメージとはほど遠い!


都に残してきた妻・宣来子(のぶきこ)からの手紙によると、

庭の木(梅?)は売られて持ち去られ
邸宅の一部は賃貸で誰かを住まわせ
...とあります。

それでも妻からの手紙には「生活が苦しい」という言葉は一言も書かれておらず、そのことが逆に道真公を心配で心配でたまらなくさせたようです。

 

 

道真公は公人ということもあって、膨大な数の歌が現在まで残されています。

しかし…恋歌が、ない。

ほとんどないのです。

次回のマンガでは、そんな堅物?道真公が、「生涯でただ一度だけ」書いた恋歌について、描いてみます。

お楽しみに!

 

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第93回 太宰府の人気者!? の巻

大宰府に到着した道真さん一行。 待ち受ける大勢)の野次馬たちに道真さんがとった行動とは・・・!

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大宰府に到着した道真公たちを待ち受けていたのは、都から左遷されてやってきた元・右大臣を一目見ようと集まったすごい数の野次馬たちでした。 

 

道真公はその様子を見て、その場で嘔吐し足腰がフニャフニャになるほどショックを受けます。

 

実際の大宰府でのスタートはそんな壮絶なものでした。

 

 

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第92回 エンジョイ!太宰府ライフ の巻

左遷されちゃったけど・・・道真さんは能天気!ワクワク、ドキドキ!とことん楽しめ!大宰府ライフ!

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道真公の太宰府左遷。 このあと残されたお話は「太宰府生活」と「怨霊伝説」しかありません。しかし…

 

「楽しさ」ゼロなんですよね。1ミリも面白い話が、ない。先行き希望ゼロの貧しい生活。そのあと「怨霊」で人が次々死ぬ、そんなお話ですから。。。このタイプのマンガでは、もうこれ以上描くの、無理・・・!

 

私は、4コマならアイディアが無限に出てくる人なのですが(画力はさておき!)、ここからは1コマも描けなくなってしまいました。 

 

10日ほど、まったく1コマも描けない日が続きます。こんなこと今までなかったのに…。困ったときは…神様マンガを描いているのだから、やっぱ、神頼み!? いよいよギブアップ寸前。第90回の「東風吹かば…」で道真公の話は強制終了…?

 

ある日、たまたま立ち寄った天満宮系の小さな神社。

 

苦し紛れに「アイディア浮かばないから助けて~!」とわけのわからんお願いをしてみました。いや、もう、ダメ元です。すると・・・


10日もうなされるほど考えて1コマも浮かばなかったアイディア。神社にお願いして2、3時間後、突然、頭の中にあふれ出すようにマンガのコマが次々と映像で流れてきます。あわてて手帳にメモメモ…夜中3時くらいまでそれが続きます。

 

大宰府と怨霊の話は、思いっきり面白く、ムチャクチャに描け。史実からそれなければ、楽しくオモシロいもの、ありえないもの、ナンデモアリ。」

 

「でも、絶対に悲しいものだけは描くな。人が殺されて死ぬ話は絶対ダメ。」

 

「事実はとっくの昔に終わったこと。悲しいものは今、何も残っていないのだから」

 


いきなりこんな思考が。(わかりやすくセリフ調で書いていますが実際は言葉ではない一瞬の感覚です。)

 

…ということで壮絶・悲惨きわまりない道真公の大宰府ライフ&怨霊伝説は、大筋の史実・伝説をほぼそのままに、「ザ・マンガ」でこのあとお送りしたいと思います。

 

お楽しみに!

 

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第91回 時平さんの改革 の巻

時平さんの改革は大成功。でもそれはもともと道真さんが考えたアイディアだったのに時平さんの手柄ってことに。道真さんだって自分ががんばったことはみんなに評価されたかった・・・!?

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道真公は自分の仕事の評価を非常に気にする人でした。これは勤め人としては当然のこと。でも、道真公は歴史上の人物でも神格化されすぎていて「他人をの目を気にせず自分の信念をつらぬく」的なキャラだと思われがちです。しかし実際は、上からの評価をわりとくよくよと?気にすることがあったようです。

 

時平の改革は大成功をおさめ、これが平安時代の全盛期につながっていきます。時平が所属した藤原北家からは、のちに平安時代最高といっていい権力者・藤原道長が登場することになります。

 

また、道真公の案で遣唐使が廃止されたことにより実質独立を果たした日本で、独自の「国風文化」が花開いていくことになります。

 

 

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第90回 東風吹かば・・・の巻

いよいよ太宰府へ出発する道真さん。家族との永遠の別れ。しかし・・・道真さんのテンションはちょっとした旅行気分?強がっているだけなのかな?f:id:amazim76445483:20210820194139j:plain

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■道真公追放は藤原時平が主犯?

 

道真公と藤原時平バチバチの険悪な仲ではなく、時平の背後に時平を操るワル~イ人たちがいた…そして、ひょっとしてひょっとしたら、時平自身も直前まで道真公追放計画を知らなかった・・・

 

そんな可能性すら想像してしまうのです。その理由として…

 

時平と道真公はふだん歌のやり取りを頻繁にしていました(今でいう文通…いや、メール・ラインのやり取りみたいなもの?)。やり取りは必ず「時平発信」で始まり道真公がそれに返答する形だったようです。これが・・・左遷の直前まで続いていたといいます。

 

道真公は右大臣を辞めたがっていました。三度も辞表を出しています。政治を引退し学者に戻りたがっていたのです。もし時平にとって道真公が排除したい存在なら辞表を受理すればいい話。しかし頑として受理しないばかりか・・・左遷命令の3週間前に、時平とニコイチで「従二位(じゅにい)」という貴族・超トップ級に昇進。時平自身が道真公に辞められると困るからではなかったでしょうか。

 

さらに時平は、道真公に文書の代作をよく依頼しています。文書の代作を依頼するということは相当信頼しているということ。…追放したいくらいの人に代作を頼むかなあ、と疑問に思うのです

 

 

■道真公の改革を継承した時平


20代そこらで道真公とコンビを組んだ時平。

 

政治の知識・経験は師匠と弟子くらいの差があったはず。時平は道真公から政治を教わったことでしょう。

 

二人はそんな関係でしたが、それでも道真公は身分をわきまえ、息子ほど年齢も知識も下である時平を「上司」として接していました。

マンガのネタバレをしてしまうと、道真公を追放したあと、時平はなんと道真公の改革案をまったくそのまんま、実行に移します。

 

藤原一族を含めた貴族たちの既得権益をぶっ壊しにかかるわけです。これには一族もビックリ仰天だったでしょう。道真公を追放したあと時平にも何か思うところがあったのでは・・・などとドラマチックなことを空想してしまいます。

 

 

■時平の黒幕の存在

 

道真公左遷の命令文を見ると、とても公文書とは思えない、主観丸出しケチョンケチョンのひどい文章です。

 

「身分が低いくせに天皇をだましてとりたてられ威張っている。まわりはみんなわかってるぞ」

 

…なんてものが公文書で・・・正気の沙汰とは思えません。

 

時平にとって道真公は長年コンビで仕事をしてきた間柄。その人柄はいやというほど知っていたはず。となると、時平がこれを指示して書かせたものとは…到底考えられないのです。

 

では誰が書かせたのか?黒幕は誰か?


これだけケチョンケチョンであるところを見ると、道真公に対して相当恨みを抱いていた人物と推測できます。


 

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第89回 時平さんと道真さん の巻(その3)

 

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太宰府へ出発する前日に道真公が時平を訪れた…これは完全にマンガのフィクションです。 

 

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第88回 時平さんと道真さん の巻(その2)

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歴史物語『大鏡(おおかがみ)』の有名なお話をマンガにしました。

 

冷酷非情のイメージが強い藤原時平にもこんなおちゃめな一面が。道真公との息の合ったコンビぶりもうかがえるエピソードですね。

 

(マンガは少しだけニュアンスを変えています。原作では、カリカリする時平を笑わせるために部下が「わざと」オナラをする設定です)。
 

 

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第87回 時平さんと道真さん の巻(その1)

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この時代には珍しい能力主義を採用した宇多天皇は、「仕事のできる」道真公と時平だけを過剰に取り立てます。このことで年輩の納言たちは大激怒、全員出仕ボイコットの騒動に!(実話)。

 

これは道真公だけではなく二人に対する嫌がらせで、時平も仕事に忙殺されました。


結局この騒動は天皇自らの説得で収まりましたが長期間、ふたりは結束して全員分の業務にあたることになりました。

 

次回のマンガでは、「極悪・冷酷非情の人」というレッテルを貼られた藤原時平の意外な一面と、ふたりの関係性が垣間見えるエピソードを描いてみたいと思います。 

 

お楽しみに~

 

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第86回 左遷はさせん! の巻

 

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道真公に左遷命令が出たときの状況は記録が残ってないのでよくわかりませんが、過去の同じパターンから、おそらく不意打ちの発表だったと想像できます。

 

実際、左遷命令のわずか3週間ほど前に、「従二位(じゅにい)」という、貴族・超トップクラスの官位に昇進・・・からの左遷。

 

えげつないことするなあ。。。

 

 

左遷の理由は次の3つでした。

 

宇多天皇をだましてうまく取り入った。

 

②身分が低いのに大臣になり権力を濫用した。

 

醍醐天皇をやめさせてその弟を擁立しようとした(=謀反)

 

①は「だました」根拠がなく、②は「身分が低い」が論外。

問題となるのは③です。

 

③はれっきとした国家犯罪。道真公は謀反を企てたのかどうか。

 

謀反計画が本当であれば、左遷どころか…牢屋に入れられるレベルの話です。


しかし、①②で印象操作としか思えない主観的な理由を入れ、

 

さらに、謀反という国家犯罪を企てた人間への処罰が「左遷」止まりという時点で・・・何をかいわんや、という感じもします。

 

左遷の理由となる謀反計画には証拠も証人もないばかりか、道真公に弁解の機会も与えませんでした。

 

そして「だまされた」当事者であるはずの宇多前天皇に対してすら、理由を聞こうと宮廷に訪れたときにも、ガッチリとガードして中に入れませんでした(本来なら真っ先に報告すべき人であるにもかかわらず、です。)

 


・・・しかし、しかしです。

 

「火のないところに煙はたたず」ともいいます。

 

もちろん大昔の話なので真実は確かめようもありませんが「謀反の計画だけはあった」とする説もあります。

 

その根拠となる唯一のものは、太宰府にいる道真公を訪れた、ある役人の調書でした。


太宰府を様子見に訪れた都の役人に対し、道真公が謀反計画の一部をゲロった、と、こういうわけです。

 

・・・ずっと無実を訴えていた道真公が、ふらっと訪れた役人に「やりました」みたいなことを急に白状するなんて、にわかに信じがたい話ですが、

 

この調書をとった役人こそが・・・道真公の怨霊伝説、そして「天神」の呼称につながっていくための重要人物になります。

 

そのへんもマンガでは…ハチャメチャに描いてみたいなあと思っています。


 

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第85回 道真公追放計画 の巻

 

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道真公の改革は成功の気配がムンムン漂っていました。

 

道真公は学者・政治家以外に、おじいちゃんの代からやっている私塾も経営していて、ここから100人をこえる卒業生が官僚として宮廷内で活躍していました。

 

道真公は宮廷内で徒党を組んだり派閥を作ったりすることは一切しなかった人なのですが、それでも道真塾の門下生が大量に官僚としているわけで、他の貴族や官僚からしてみると大きな脅威だったと想像します。

 

道真公は


「合い間に政治をやってもいいけど、せめて半分は学者やってたいな」


「でも私がやめると時平さんひとりになるからがんばる!」


…みたいな発言をしています。

 

これ、総理大臣クラスの人が


「あき時間に政治やってもいいけどホントは学者していたいよ~」


と言っているわけで、冷静に考えるとトンデモ発言です。

 

まあ、それほど道真公は政治家より学者でいることに執着していたんですね。

 

■不吉な手紙

 

バックの宇多上皇を失い丸腰になった道真公のもとに、待ってましたとばかりに一通の手紙が。

 

差出人は学者官僚の三善清行(みよしきよゆき)。

 

「特に親しくもないのにこんなこと言うのもなんですが」で始まるこの手紙の内容が…なんとも気持ち悪い。

「自分は占星術をやっている」

「それによると道真さんの運勢は超悪い」

「破滅するよ」

 

などなど・・・結局いいたいことは

 

「あなた身分が低いんだからすぐ大臣やめなさい」

 

道真公にすれば「いやいや、辞めたいけど辞めさせてもらえないだけ!」と言いたいところでしょう。


この手紙の数か月後に実質の流罪となる太宰府への左遷命令が来ます。

 


この三善氏、道真公への手紙のわずか10日後に、天皇にも書状を送っているのですが、内容はカンタンにいうと

 

占星術でみたら、今年は謀反(むほん)が起きるから、あらかじめ賊を倒しておきましょう!」

 

というもの。

 

この2つの書面の内容は「賊=道真公」を暗にほのめかしており、天皇側への事前の雰囲気づくりをしていることがわかります。

 

ううう、陰湿・・・


この手紙をいいように解釈する説もあります。

 

なんらかの事情で三善氏が道真公追放の計画を事前に知り「追放される前に辞職すれば助かるよ」と助け舟を出してくれていたのだ、とするものです。

 

しかし、右大臣たるものが一官僚のアドバイスを受けたからといって軽々と辞職願を出しても通らないことはさすがに理解していただろうし、

 

そもそも親しくもないのに左遷という機密事項をリークする危険を冒してまで道真公に助け舟を出すのはなんとも不自然です。

 

だいたい・・・10日後に送った天皇への手紙には「道真公=賊」をほのめかす言葉が。

 

道真左遷後の三善氏は、追い打ちをかけるように得意の占星術で「賊を追放したので仕切り直し」を理由に、改元(年号を変えること)まで推進しています。 

 

こっわ~。



実はこの三善清行、官僚試験を受けたときの出題&試験官だった道真公に不合格の判定をくらい、合格まで2年も足踏みしています。

 

そのほか宮廷内のトラブル(阿衡事件)の後、地方への左遷人事もくらっています(宇多天皇引退で復活します)。

 

そのほか、史実かどうかはわかりませんが、道真公が三善氏を「愚」と評したという逸話も残っていたりするほどまわりからは不仲だと考えられていたようです。

 

事実だけとってみても道真公に恨みをもっていた可能性は十分ある人物でした。

 

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北野天満宮、2つめの影の大ボス

北野天満宮には「天神地祇」のほかもう1柱、目立たないところに「大ボス」がおられます。

 

本殿へ向かう参道にある目立たない祠ですが、「さりげなくこんなところにあるけど、これってよく考えるとものすごい神様ちゃうん?!」と、ちょっとビビります。

 

御祭神が菅原道真公となっているためあくまで摂社というポジションですが、どこかほかの神社で御祭神になっていてもおかしくない、神様のランクでいうと「ボス」クラスといえそうです。

 

天満宮の影の黒幕(?)その2」が、こちら。

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火雷神」 そう、まさに「雷の神様」です。

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火雷神(いわゆる雷神)も「天神地祇」と同様に、北野天満宮が造営される前からこの地で祀られていました。

 

菅公は没後、怨霊として雷神と同一視され人々から恐れられます。そこからのちに「天神様」として昇華しますが、「天神」という名前の由来は雷神との習合によるものみたいです。


火雷神の祠の真向いに、私がペンネームをパク…いや、いただいた能福さんの祠もあります。

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北野天満宮、影の大ボス!?

北野天満宮といえば、ご祭神はいわずとしれた菅原道真公。

しかし実は・・・影の黒幕(?!)が。

 

境内の裏手に、天満宮の「大ボス」がおられます! 

この祠を参らずして何を参る!!!

 

北野天満宮の大ボス、摂社の筆頭「天神地祇(てんじんちぎ)」。

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地祇とは「国土の神」、天神地祇は「天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)」つまり「すべての神々」ということに。

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北野天満宮ができる前、いや、菅公がお生まれになる前からこの地で祀られていた神様。こちらこそが「リアル天神様」(?)なのです! great !!

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しかも、な、なんとこの朱色のきれいな社殿、豊臣秀頼公の造営なんですね!!!(秀頼ファン)。

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全然関係ないのですが、「戦国大名で誰が一番好き?」というお決まりの質問があると私はいつも迷わず「豊臣秀頼!」と答えます。

 

そうです、「秀吉」ではなく息子のほう。

 

秀頼が戦国大名といえるのかはさておき、日本全国を敵にまわして城の周囲を取り囲まれ、天守閣を大砲で吹っ飛ばされても、堀埋められて100%勝ち目なくても なお戦う男前っぷりがせつないです。

 

ついていった武将たちもすごいけど、さすがに国内ほぼすべてを敵にしてワントップで戦ったのは日本史上 秀頼だけでしょう。

 

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第84回 左右の新米大臣 の巻

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ここでいよいよ宿敵・藤原時平(ときひら)の登場です。

 

すこーしだけ、意地悪そうな顔にしてみました。しかし服装が・・・黄色。

黄色い悪役・・・?  悪そうにみえませんよね。

 

道真公に関する本ををいろいろ読んでみると、今のところ「時平=極悪」でほぼ統一されているようです。でも、ちょっと気になることもあります。


どうも事実を積み重ねていくと、時平は、一般にイメージされる極悪キャラではなく単に「藤原の神輿(みこし)にかつがれた悪役」だったのでは? そう思うようになりました。

 

マンガとはいえ時平をどうしても極悪人として描けず、キャラ設定は途中で少し軌道修正しました。

 

古今東西「矢面(やおもて)に立つ人」は、表向き見栄えがよくメンタルがタフ、言うことをよく聞いてよく働く便利な人が選ばれます。 その背後にいる人たちにとっては都合のいい「ダミー」です(ただし背後の人は最後まで決して姿を現すことはありません)。


これは完全な私個人の推測ですが、時平にも…背後に人がいた…。

 

名門藤原一族であることと、まだそのとき政治経験浅い20代の若者であったことを考えると、後ろで操る人がまったくひとりもいなかったと考えるのは不自然にも思えます。

 

そもそも経緯をたどっていくと道真公と時平の関係は、実はそんなに悪くなかったように思います(勝手な推測です)。 いろんな事実を重ねてみると、一般に言われているような大きな確執があったようには感じられないのです。

 

まあ、お話としては「善と悪」の二極化でわかりやすくするほうがよかったのでしょう。

 

このあと、ふたりのビミョーな関係も、大ざっぱなマンガでいつものようにふざけながら描いてみたいなあと思います。

  

宇多天皇はなぜ早く天皇をやめた?!

 

改革バリバリ派の先頭に立つべき宇多天皇がなぜこんなに早く天皇をやめたかったのか?はいろんな説がありますが調べれば調べるほど複雑そうなので詳細は書きません。

 

ただ、間違いない理由のひとつは「仏教大好き!」で早く出家したかったことがあるようです。


実際に時平&道真が最高峰ツートップ・左右大臣になった時点で「これで改革成功、もう安心!」と思ったのかどうかはわかりませんが、上皇すら降り、頭を丸めて出家してしまいます(それがあの有名な京都の仁和寺)。


唯一の強力な後ろ盾・宇多上皇が出家し政界を引退したことで道真公は完全無防備・丸腰となってしまいます。待ってましたとばかりに道真公包囲網は牙をむいて一斉に攻撃をしかけてきます。

 

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第83回 じゃ、左大臣は? の巻

 

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■右大臣の就任命令、3回も断る!

 

実際の道真公は右大臣の就任命令を、なんと3度も断っています。

 

この時代の慣習として昇進命令は2度まで辞退し3度目で受けていました(奥ゆかしい~京都っぽい~)。 しかし道真公は掟破りの「3度辞退」しています。

 

おそらく3度目は当たり前に受けるものだと思っていたお使いの人もびっくり仰天したことでしょう。 実は右大臣、ガチでいやだったという…。

 

しかし、この就任辞退は結局、天皇によって認められませんでした。かわいそ~

 

 

■なぜ右大臣になるのがそんなにイヤだったのか? 

 

なぜ道真公は右大臣になることを頑なに拒もうとしたのか?

 

道真公は自らの「出自」を理由にしています。

 

つまり

「身分が低いから大臣ムリ」
「自分は宇多天皇にたまたま抜擢されているだけ。右大臣は行き過ぎ」
と言っています。

 

道真公は中下級貴族の家柄。当時は大臣に中下級貴族が就任するのは異例中の異例で、すべては改革を進めたい宇多天皇の抜擢によるものでした。


身分制度の厳しかった当時、主流の藤原一族を押しのけての異例のトップ就任。周囲の嫉妬による嫌がらせもすさまじかったようです。特に野心家でもない学者の道真公にとっては肩身の狭い思いだったようで、そういう発言が多数みられます。

 

これ以上、官位が上がるのがつらかったのでしょう。

 

道真公は右大臣以外にも多くの役職を兼任・歴任していますが、そのとき兼任していた「右大将」も同様に3度「辞めさせてください~!」と訴えています・・・がしかし、すべて却下されています。

 

 

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第82回 道真公の大改革! の巻

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■税が払えない人はいったいどうなるの?

 

他府県に逃げる・山にこもる・貴族の私有地で雇われる・浮浪者になる・強盗になる…のいずれかがほとんどでした。こうして税を払う人がどんどん減り、税収が落ち、国のおサイフが…大がピンチに!

 

そこで道真公がとった策は?

 

なんと「厳しく取り締まる」の逆!

 

人々から相談を受けて現地の実態を調べる役人「問民苦使(もんみんくし)」を設置、現場の実態に合わせた税の取り方をします。

 

カンペキな現場主義。

 

中央の役人ならおそらく想像もつかないようなやり方。こういうところが地味に、すごい。

 

■当時の日本は男子が10人に1人しかいなかった?!

 

当時は唐のマネで、男(=働き手)に課税していました。

 

人々は税を逃れるため子どもが生まれたら役所に「全員女の子~!」で届け。 だから当時の戸籍を見ると「女」の文字がずら~~~っ! 男は10人に1人(戸籍上)。

 

ますます税がとれない!

 

そこで道真公は土地に対して課税しようとします。


でも実はこれ...戸籍ゴマカシ対策がメインではありませんでした。

 

地方の金持ちは畑を新たに開墾したら国有地なので課税されてしまいます。そこで免税されている特権階級の貴族に形だけ寄進し、名義料を払って実質自分の土地にして儲けていたのですね。ズル!

 

既得権益にメスをいれた道真公の改革


こうしてどんどん課税できる土地が減り、特権階級と地方の金持ちだけが大きく儲けました。これぞ官民癒着(現代みたい!)

 

道真公は全国を徹底的に調査、膨らんだ貴族の私有地を解体、庶民に分配し確実に税が入るようにしました。

 

道真公は触れてはならない特権階級の「既得権益」にメスを入れたのです!

  

私が「道真公すごい」と心底思うのは、現場の目線で仕事のオペレーションを組み立てることに徹底していた点です。そしてありえないくらい考え方が柔軟。

 

歴史上の人なら「天下統一」とか「偉大な発見」みたいなわかりやすい実績があると尊敬されやすいのですが、道真公の場合はそこがものすごく地味。 だから話を面白くするために「藤原時平との確執」や「怨霊伝説」の部分を面白おかしく脚色してクローズアップされてきたのかもしれません。

 

■現場目線のオペレーション第一に考えた道真公

 

道真公はエリート官僚で学者であるにもかかわらず最下層の現場オペレーションにまで見通して徹底的にこだわっています。 

 

「学問の神」である道真公は単なる伝説ではなく、本当の本当に頭のいい人だったんだなあと思います。


「地味だけどすごい」例として、国司(県知事みたいなもん)の決算報告を廃止したこと。

 

当時の書類を見ると、改革以降の決算報告が空欄になっています。

 

国の決算報告を廃止するなんて常識はずれもいいところですが、現場だけにしかわからないハッキリした根拠がありました。


ひとつは、煩雑な決算チェック。

 

この仕事に中央の役人が忙殺され、中央の仕事が滞ります。チェックされる側の国司の仕事も滞る。 

 

現代でいうと…支店に監査、お店に税務調査が入った状態、と考えれば近いのかな?

まさにあれです。調べる側もたいへんだけど、取り調べを受ける側は終わるまで仕事にならんわけです。

 

もちろん調べる側も対応する側も、その分人件費もかかります。

 

それまでは決算報告させて余剰の利益が出たらそこにも課税していました。

 

でも報告をなくしたので、国司は余剰利益を不測の事態(天災や不作の年など)のために備蓄することができるようになったのです。 もちろんそれで私腹をこやす国司もいたでしょうがトータルで見ると小さいことだと判断したのですね。

 

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